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2007年6月16日 (土)

がんと,ペルソナと,死の話

先日の記事で書いた,がん医療に関する文献,ボチボチ読み進めております。

がんで死ぬのはもったいない Book がんで死ぬのはもったいない

著者:平岩 正樹
販売元:講談社
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がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな―迫りくる終末期をいかに人間らしく生き遂げるか Book がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな―迫りくる終末期をいかに人間らしく生き遂げるか

著者:近藤 誠,ひろ さちや
販売元:日本文芸社
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平岩医師の方針と,近藤医師のそれとが微妙に対立していて興味深いです。

そもそものきっかけは,公明党のパンフレットで紹介されていた「がん対策法」の詳しい内容に興味を持ったのと,本当に日本のがん医療は遅れているのか,実態はどうなのか文献に当たってみたいという考えでした。

アマゾン様から4冊購入し,ちょうどCD1枚分ぐらい,あと1冊未読なのですが,実は買った後で4冊中3冊が平岩医師の著作と気づき,しまったなと思いつつも,両者のがん治療に対するスタンスの違いを興味深く拝察しました。

今日の記事は少し,話の飛躍があるかもしれません。
私がこれらの本を読んで感じるのは,何より日本人の「死」に対する意識のありかたです。
少し引用を多めに。

「革命の河の中で」-「死」を考えてみる-

死。迎え方は色々だろうが、生物的死としてとらえるだけでは終らない。
唯物論的な死をもって納得できるような代物ではないことは分かる。
これ以上のない確率で訪れる、この不幸に対して鈍感でいる自分が腹立たしくもある。

生命の永遠性を思考して、「死」をそして「生」を理論的に語ることは簡単なことだが、
死それ自体について、自分の死について語ることができない。

これを今までは「死の悲しみの経験がないから……」ということで見過ごしてきたが、どうやらそればかりではなさそうだ。

当たり前のように考えていることが、実は不安定なものであったり、もっとも確実てある意味「絶対的」な死についてとらえることができない、我が身の愚かさを考えずにはいられない。

死は必ずやってくる。
今の充実、楽しみもおかまいなしに、自分の意思に関わらず、無遠慮にやってくる。


苦しみ悲しみを一切合際、駆け引きなしに突きつけてくるだろう。


学会ホームページの御書検索
で「死」は428件。

284ページ 撰時抄

問うて云く智人なくばいかでか此れを対治すべき例せば病の所起を知らぬ人の病人を治すれば人必ずす、

1084ページ 兄弟抄

なにと・なくとも一度の一定なり、いろばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ。

1561ページ 上野殿御返事

とにかくに一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、

他にもいろいろいろいろ。
あるいはメメント・モリ

あと最近クリアしたペルソナ3のシナリオも非常に興味深かった。
***注意:以下ネタバレが含まれています***

ペルソナ3フェス(通常版:単独起動版) Video Games ペルソナ3フェス(通常版:単独起動版)

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この作品の首尾一貫したテーマもまた「死」である。
物語の終盤で,少年達はこの世界が1月31日で終わることを告知される。
告知者は秋の終わりに転校してきた無垢な少年。彼はある実験の結果生み出された,世界の「死」を告げる存在そのものなのだ。そう,「死」とは我々一人ひとりの中から生まれ,人生をともにし,そして最後には彼と共に旅立つ,紛れもない「友達」の姿をした,自然の摂理なのだ。
その運命はすでに確定しており,相手は「死」なのだから殺すことも止めることもできないのだそうだ。
そこで少年達は選択を迫られる。

1 告知者を殺し,同時に今までの戦いの記憶を全て捨て,そう遠くない突然の終末を静かに受け入れるか

2 告知者は殺さず,今までの記憶も手放さず,確定した日付の滅びの運命に向かって戦いを続けるか

もちろんこれはゲームなのだから,もう少し長く続けたいのなら2を選べばよいのは目に見えている。

だが,一人の人間にとって死を逃れられないのが自明の理であるように,世界の滅びを止めることはもはや出来ないのに何故無駄な抵抗をするのか,この少年を巡る会話と,自分が死ぬという具体的な事実を前にして少年達はどう立ち向かうのか,死の具体的なイメージを想起させるゲーム全体の雰囲気が,絶品といっていい作品である。これから始めてみられる方は,プレイ時間が90時間を越えることは十分注意されたいが,それだけの時間をかける価値があるといってもいいだろう。

話をがんの話に戻そう。

がんに関する研究が進み,治療法も大いに進歩してきたと思うが,医療が出来ること,特にがん治療の結果として医者ができることは,端的に言うと患者に「時間」を与えることだと思う。

とにかく,医者にかかったその時点で病気を特定し,治癒ができるかどうかを判断し,治癒が極めて難しい,あるいはリスクが高いと判断すれば,あらゆる手を尽くしてがんの進行を抑え,3ヶ月,半年,1年,3年,5年と余命を延ばしていく,死神との交渉である。

その時間を何に使うか,それはまったくの患者の自由である。
先ほどのペルソナ3の話にちょっと戻るが,「記憶を手放す」第1の選択肢を選んだエンディングも,決して暗く絶望に満ちたものではない。ただ何かを忘れているような気がするだけである。どちらを選択しても,命と何気ない日常のかけがえのなさは変わらない。

私個人も,命の使い方に正解も不正解もないと思っている,ただ他者と世界に与える影響については,間違った選択をすれば少し問題を残すのではないか,と思っている。

平岩氏の著作によると,日本のこれまでのがん医療とは,いかに患者に真実を知らせないかに全力で挑む医療だったそうだ。一応,上記の1の選択肢ではないかと言っておく。あるいは家族からの要望による本人への告知拒否であり,親しい人を死の恐怖に直面させたくないというカッコ付きの「やさしさ」である。

そのためもあってか,いわゆるがんと尋常に勝負する医療というか,現実から目を背けず,嘘をつかず,諦めない,患者と医者,家族が共通の目的において団結し,死神から最大限の譲歩を引き出す治療が日本において遅れているのは,これらの背景から導き出される自明の理だったのではないかと推測されるのである。

正直に言って,私自身,死の現実に向き合ったことは無いし,親しい人や家族ががんになったという経験もない。おそらくこの先,そういった正念場を迎えることになるのだろう。その時のために,いい本を読んで,いいゲームで遊んで,逃げずに立ち向かえる勇気を備えていられたらと思う。また,その時の私の選択が最大限に実現されるように,社会的ながん医療体制も進んでいくよう願ってやまない。

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コメント

引用ありがとうございます。

今ふと思ったのですが、日本の医療現場で、ガン告知が行われ難い原因に、宗教の欠如と生死を見つめる文化を置き去りにしてきたことがあるのかなと思いました。

私の知り合いの社会的成功者の方がこういう話をしていました。
その方がかかりつけの医者に言われた言葉なのですが……
「貴方みたいな、成功者で好き勝手なことを言って生きてきた人は、重い病気にかかると、本当にオタオタするんですよ。だから何か宗教を持った方がいいですよ……」

科学者である医師が、死という現実に対しては、それを迎え入れるために宗教の必要性を十分に認めているのですね。

記事にございます通り、生活の中で少しでも死を見つめる“努力”をしていくことが、本当に大事だなと思う昨今であります。

投稿: ねねぱぱ | 2007年6月18日 (月) 00:10

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