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2008年5月22日 (木)

クロ現 成年後見人見たよ

クローズアップ現代:
老後の財産が狙われる~相次ぐ後見人トラブル~

町の司法書士さんの事務所の方から、うちでも任意後見人をしてるけど、厄介ごとばかりで全然商売にならないと聞いたことがある。
個人的には何かのきっかけがあったら関わりたい業務ではあるんだけど。
特に介護保険においては、利用者の自己決定が出発点となっているので、それができない人のケアというのがどうにも難しい。一応この制度は必要だと思う。全然知名度ないけど。

で、後見人が財産を使い込むという問題だけど。
誰も見ておらず、罰則が抑止力になり得ないのなら、そりゃやっちゃうでしょ。ぐらいのものですね。
悪徳業者が悪徳でありますと言われても、番組を見る限りあまりにベタな悪徳すぎてどうもピンとこない。
いや、実際すごい勢いでだまされているのをいつも目の当たりにしてるんですけどね。
本来そういう事態を防止するためにある制度だし、まだ後見人立ててるだけ救われる状況というものは実際あるし。

区民後見人かあ。うーむ。
ボランティアでこんな仕事させてどうすると。民生委員じゃないんだから。
私はどちらかというと、こういう業務がちゃんと商売になるように持って行くべきだと思う。
それは即ち、高齢者がこういうサービスに金を払うようになる、ということだけど。
現在の70-80代には、それは難しい。

どうしても、個別に生きてきた人生の因果に問題を還元する以外になくなってしまう。
いや別に、だまされる方が悪い、とか言うわけじゃなくて、問題は自分の立場を認識する能力というか、その。

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2008年5月17日 (土)

4号

もう台風か

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2008年5月16日 (金)

悪い冗談としか思えない

毎日新聞:介護保険制度:給付抑制案 「軽度は対象外」「自己負担2割に」--財政審提示

 財政制度等審議会(財務相の諮問機関)は13日の会合で、給付が急増する介護保険制度の抜本的見直しを6月にまとめる意見書(建議)で提言する方針で一致した。同審議会の西室泰三会長は会合後「建議には明確に書き込む」と語った。

 財務省は同日の会合に、介護保険見直しの三つの試算を提示した。ドイツにならい、軽度の要介護者を保険制度の対象から外せば、給付費を年間2兆900億円抑制できると指摘。一方で、軽度の要介護者の自己負担を現行の1割から2割に引き上げた場合には、年間の給付費を2300億円抑制することが可能とした。

 08年度の介護給付費は6兆6559億円(当初予算ベース)。このうち5割を40歳以上の被保険者が負担。残りの5割を国と地方の負担で賄っている。高齢化の進展に伴い、給付費が毎年数千億円規模で膨らむことが見込まれており、3年に1度の保険料の見直し時期となる09年度は大幅アップが必至の情勢だ。【清水憲司】

今テレビのニュースで舛添大臣も、これは問題外の案だとして一顧だにしていなかったが、妥当な判断だと思う。私もこんな政策冗談としか思えない。

この方針が実現されれば、要介護度の重度な利用者のほうが、介護サービスを「お得に」使えることになり、ますます要介護度を高くしようとするインセンティブが働いてしまう。

何度も同じことを言っているようだが、要介護度は数字が高いほど重度になり、要介護4-5ともなると、在宅での生活は極めて過酷になり、何より本人のADL(日常生活自立度)が低下し、介護地獄の言葉にみられるように家族にも過度の負担がかかるようになる。

何も知らない利用者が、そんな状態に望んで進んでいこうとする姿は、本当に地獄と言うしかない。
笑うに笑えないのだ。

そういえばこんなニュースもあった。

介護休暇訴訟 被告の県側争う姿勢 鹿児島地裁第1回弁論「異動強要してない」

 中学校に勤務する50歳代の長男が申請した介護休暇が認められず、自身の病状が悪化したとして、鹿児島市内の女性(84)が県に1000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が9日、鹿児島地裁(玉本恵美子裁判官)で開かれた。県側は「休暇申請の拒否と病状の悪化に因果関係はない」と反論する答弁書を陳述、棄却を求め全面的に争う姿勢を示した。

 訴状によると、女性は2004年8月に脳卒中で倒れ要介護4と判定された。中学教諭の長男は、介護休暇を繰り返し申請したが拒否され、鹿児島市内から離島に異動を強要された。長男は転勤に応じ、女性は長女に預けられたが、環境の違いなどで病状が悪化。要介護度も5になった。申請拒否は育児・介護休業法違反に当たると訴えている。県側は答弁書で「異動の強要はしていない」と主張した。

=2008/05/10付 西日本新聞朝刊=

地元鹿児島だが、この裁判は非常に注目している。
要介護度の悪化(4→5)が、裁判所で「不利益」と認められるかどうかも大きな争点だからだ。
介護サービスの利用限度額が増加するのと引き換えに、介護サービス単価が増額され、利用者本人のADLが悪化することを明確に不利益と定義できれば、介護に関係する政策でも悪化予防の具体的な動きがでてきそうだ。

何にせよ、現状の制度では利用者、ケアマネジャー、事業者に要介護度を改善することについてのプラスのインセンティブが全くない。
泣きを見るのは市町村、そして保険料という形で負担が跳ね返ってくる当の高齢者だ。

いっそケアマネジャーに報奨金を導入してしまってもいい。
何らかの形で改善することについてプラス方向のインセンティブを与える政策が必要だ。

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あにばーさりー

ながいことやってます^^

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2008年5月11日 (日)

悪知識

青年幹で言及があったのでメモ。

唱法華題目抄(7ページ):

「諸の悪象等は但是れ悪縁にして人に悪心を生ぜしむる事能わず悪知識は甘談詐媚巧言令色もて人を牽いて悪を作さしむ悪を作すを以ての故に人の善心を破る之を名づけて殺と為す即ち地獄に堕す」文、文の心は悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり、

see also:Prayin’ for the ground: あるブログの顛末

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NHKのやつ

今やってるけどこれはひどいな。

介護保険の関係で言うと、要支援2でヘルパーが3回しか使えないというのは誤りだし(4回可能のはず)、デイサービスを使っていないというのも何か事情があるのでは。
訪問リハビリも使えるはずだが、どうなっているのだろう。
デイサービスの提案はしたのか、拒絶されたのか。
サービスを増やしたければ介護度変更申請をするべきだが、その検討はしているのか。

単独世帯でヘルパーのみのプランというのはどう考えても無理がある。
利用者の方は、ケアマネジャーとどういう話し合いをしたかも分からない。
そもそもサービス切り下げの話ばかりで、肝心のケアマネジャーの存在が見えないので、ひょっとしたらケアマネジャーの機能が分かってないのかも知れない。

番組に出ておられる教授先生の方々がこの程度の知識もないのも信じられない。

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2008年5月10日 (土)

天才とか

私の周りにはそれほど図抜けて頭の良い人間はいなかったように思える。
田舎だからというのもあるけど、それなりに高いIQの人もいたけど、それなりに頭のいい友人で精神的に病気がちになったのもいるし、どちらかというと私の周りにはそういう病気と付き合っている人が人生の端々に登場しており、私もそういう眷属なのかもしれない。

小さい頃に自分は周囲の人間と違うと思ったことはある。祖母の家に行ったときに側溝を流れる水をとにかく長い間じっと見つめ続けていたというし、主に文系だけど、小学校低学年で習うようなことはほとんど覚えてしまって学校の勉強がヒマでならなかった。
保育園のお遊戯のどこが面白いのだろうと真剣に悩んだこともある。

もちろん今はそれほど大した人間でもない。
少しばかり腕に自信があろうと、ブログの世界には私より遥かにスペックの高い人間がゴロゴロいるし、こと人間の性能は一面的な指標で測れるものではない。
以前テレビでやっていた、古舘氏の番組でIQを測ってみたら、2年続けて119あったけど、だいたい人間沢山生まれているんだから単純に確率の問題でこれぐらいのバラツキがあるし、これくらいの頭の働きは訓練しだいでどうにでもなるし誤差の範囲だ。

それよりも私にとって興味があるのは、本人の全く望まぬ性能を持たされて生まれてきた人間が、その才能を発揮して幸せな人生を送るか、その能力が仇となって不幸な人生を送るか、その分岐点となっているものは、一体なんだろなということだ。

ごくごく私的な話をすると、高校生まで諦念を持ってしか対峙し得なかった人生に、ああ絶望しないでいいだなというわずかな希望を持たせてくれたのは信仰だ。だが、同時にそれは他の人々にも私の話す言葉が遍く希望を持たせうるかというと、まだ完全には自信がない。

乱暴に言えば、頭の良さというものも畸形や障碍といったものと同じようなハンディキャップである(になり得る)と言えてしまうが、それだけで他社の悩みを包含し救えてしまうかというと、人はそんな単純な生物ではないのだし、必ず私は違うという答えが返ってくる。

人間は悩む生き物であり、悩みという命題についてすら悩む。
あなたの悩みと私の悩みはきっと同じはずだということを伝えるには、果たしてどうすればいいか?
頭のいい人は考えてほしい。

開目抄上(191ページ)

大集経に云く「二種の人有り必ず死して活きず畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず、一には声聞二には縁覚なり、譬えば人有りて深坑に堕墜し是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く声聞・縁覚も亦復是くの如し、解脱の坑に堕して自ら利し及以び他を利すること能わず」等云云、

inspired by:

404 blog not found:紙一重

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2008年5月 8日 (木)

胡錦濤氏、池田先生と会見

MSN産経ニュース:

【胡錦濤氏訪日】「光栄です。うれしいです」創価学会の池田大作名誉会長が熱烈歓迎

来日中の中国の胡錦濤国家主席は8日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで、創価学会の池田大作名誉会長と会談した。

 池田氏は「光栄です。うれしいです。ありがとうございます」と言いながら胡主席らと握手。胡主席は日本語で「ようこそ。いらっしゃいました」と応えた。会談に入る前に「世界の平和のためにまことにありがとう。(胡)閣下の栄光をたたえて詩を作らせていただいた」と述べながら、自作の漢詩を贈呈した。

 会談冒頭の主なやりとりは以下の通り。

 池田名誉会長「早稲田大学での歴史的な講演、本当にご苦労様でした。テレビでも日本全国に放映され、感銘と感動が大きく広がっていることをお伝えする。閣下は人間を一番大事に、調和を促進するという施策を明確に述べられた。ご自身の足跡を通し、青年時代にまいた友好の種は永遠であると語っておられた。若い世代の人々は深く感動していた。この次は創価大でお願いしますという声もたくさんあった。天も晴れ、心も晴れ渡る暖かな春の旅となった」

 「ともかく、思えば、両国の青年交流の扉を、真っ先に、大きく、いきおいよく開いてくださったのは主席閣下だ。23年前、来日された若き主席、当時42歳。あの姿は私たちの頭にも、胸からも永遠に離れることない」

 「閣下の有名な言葉、歴史的教え、青春の力で世代をこえた友好、本当に永遠不滅の言葉・意義・哲学、私たちは一段と、閣下との、貴国との友好を深めていかねばならないと決意している」

テレ朝には5秒、TBSには15秒(見た目)、11時半のNHKは言及なし。

新聞印刷発注してるんだからもう少しサービスして下さいと言ってみるテスト。

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2008年5月 7日 (水)

休み明け

ブログのアクセスがじわじわ回復。
休み明けって感じですね。
皆様ごきげんいかがでしょうか。

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2008年5月 6日 (火)

5月度御書:千日尼御前御返事

御書検索より:
譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ、

通解(大百5月号より):たとえば、天の月は四万由旬も離れているけれども、大地の池には即座に月影が浮かびます。雷門の鼓は千万里の遠くにあっても、打てばその瞬間に聞こえます。
同じように、あなたの身は佐渡の国にいらっしゃっても、心はこの国に来ているのです。
仏になる道もこのようなものです。私たちは穢土に住んではいますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。
お顔を見たからといってなんになるでしょう。心こそ大切です。

鎌倉時代からはや800年。私たちは居ながらにして通信できるテクノロジーを手に入れたが、乗せるべき心の中身はどうだろうか。
「心こそ大切なれ」の心は、単なる現実逃避としての「心のもちよう」の如き心ではない。
現実を変革し、悪を打ち破る心だ。

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2008年5月 4日 (日)

温泉とグラミンフォン(一応書評)

昼から近郊の温泉場へ。
ゴールデンウィークであったが、予想どおり、普段に少し毛が生えた程度の人出。
鄙びきって相当に年季の入った旅館の、部屋全体が気持ち奥のほうに傾いている部屋に、昼1時に入り、お弁当食べて温泉に入り、本を読み、テレビつけず(携帯は圏外)、ラジオ聞かず(電波届かない)、温泉に入り、本を読み、昼寝し、温泉に(ry

ヨメさんと2人で6時ごろまで滞在して、おばあちゃんに2000円を払う。
領収書は出ない。
正直異常な安さだと思う。もはや不当利得の世界。

以前もブログにちらっと書いたと思うけど、再加熱する必要のない十分に高熱の源泉が近くからそのまま湯船に流れ込み、贅沢にもかけ流しされている。
しかも、そこそこの広さの温泉が貸し切り状態。
なんと贅沢な。

そういえば何かの本で、日本のレジャー産業は温泉のせいでダメになったと読んだことがある。
確かにこれほどクオリティの高い温泉があれば、何も無理してラスベガスのように頭をひねって娯楽を考えないで済むもの。
旅館を建て、風呂を用意していれば自然に客が訪れる。
別に温泉地で商売している皆様が努力を怠っているとは言わないけど、このレベルの娯楽をこの価格で享受できるというのがどうにも不自然で頭を抱えてしまった。どう考えても7000円ぐらいはかかるような気がしてならない。払わない分のお金はどこに行ってしまうのだろう。

そんな中読んだ本が、バングラデシュで携帯電話事業を成功させた、グラミンフォンの話。

グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ] Book グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ]

著者:ニコラス サリバン
販売元:英治出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

バングラデシュという国は、本来平地がちで土壌も肥沃な上、国民も勤勉に努力する、豊かになる可能性を十分に秘めた国であるはずだった。

そんな国が長年世界の貧困国の筆頭にあげられ、世界から忘れ去られたままでいたのだが、情熱に満ちた起業家が携帯電話ビジネスを立ち上げ、ピラミッドの底辺にいる人々に携帯電話という情報交換ツールを持たせ、面白いように生産性を上げ、貧困脱出の糸口を作り上げた物語で、今の世界に起こっている貧困克服の動きや、有名なグラミン銀行の仕組みも理解でき、また単純にビジネスの成功譚としても痛快に楽しむことができる。

ありきたりな言い方になるが、人間一人ひとりの可能性というものについて希望に満ちた前向きなエネルギーを感じることができた。

1日の所得が数ドルという貧困国と日本とでは、携帯電話が及ぼす意味合いやインパクトといったものはもちろん大きく違ってくるが、「つながることが生産性である」という信念を実行に移したそのエネルギーを、どうやって価値創造につなげられるか、ゆっくりと熱く考えてみたい。温泉だけに。

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2008年5月 3日 (土)

国保担当1月につきメモ

まあゴールデンウイークだし、最近更新サボってるし、気楽に今考えていることをまとめてみる。

介護保険から国保に仕事が変わって率直に思うのは、いわゆるあの『走りながら考える』介護保険のノリが懐かしいなということだ。

それも無理はない。介護保険はたかだか8年、方や国保に至っては70年(!)の制度の歴史がある。
改正に次ぐ改正を重ね、国民の医療の安心を守ってきた。
今やどんな境遇の被保険者だろうと平等に扱う、隙間一つない制度に成長してきていると思う。
だがそれは同時に、制度の全貌を知る者が極めて少なく、肝心の利用する当事者が自分の位置を見失うほどの複雑怪奇な制度になってしまったということだ。

試しに、高額医療費の払い戻し制度を(おさらいの意味も込めて)紹介したい。

がんで入院して、1月に100万円の医療費がかかったとする。
部屋代や食事代を引いた「正味の医療費」が100万円だ。
まず病院を退院する際、とりあえず保険証に書いてあるとおりの3割の自己負担を支払う。
(減額認定証を事前に受けている時はこの限りでない)
30万円を一旦支払う。

そしてその領収書を持って市役所の窓口に行き、高額医療の払い戻しを申請する。

いくら払い戻しがあるのかの判断基準が以下のとおり

・本人の属する世帯の所得
・年齢(70歳未満、70~75歳、75歳の後期高齢者)
・高額医療費を受ける回数
などなど。

とても素人がその場で判断できるものではない。
結局こういった制度は、元をただせばあらゆる事例について負担の不公平が生じないように、継ぎ足しに継ぎ足しを重ねていった結果、昭和の臭いの強い官僚主義的パターナリズムの成せる業だと思う。

実際に結果だけを考えてみると、月100万近い費用のかかる医療が、10万そこそこの負担で済んでしまう制度というのは、世界中どこを探してもそうそうない。外国の評論家が日本の国民皆保険を指してマジックだと言うのも理解できる。
非常に高度に汲み上げられた非の打ち所のない制度であると私も思う。
ただ利用者にとって理解が至難であるという一点を除いては。

その点介護保険は非常にシンプルだと思う。
市役所から出すのは要介護認定のみ。
具体的なサービスの構築はケアマネジャーに任せてしまっている。
サービスを利用した結果(要介護度の悪化あるいは改善)についても自己責任。
限度額はあるけど、どれだけサービスを使うかも個々人に委ねられている。
使ったらその分だけ1割負担であり、負担額も分かりやすい(はず)。

両者を比較して思うのは、自分が使う医療・介護サービスが本当はいくらかかっているのか、その点が明確化されているかどうかだと思う。

これはひとえに医療制度の問題に限らない。

最近病院に行った方は手元の領収書を見てほしい。
その領収書に『病院の売り上げ額』が明確に書いてあるかどうか。
点数しか書いていない病院もあれば、ひどいのになると請求金額しか書いていない病院もあると思う。都会のほうの病院はそうでもないかもしれないけど。

いわば自分のおこなった仕事の対価を、胸を張って受け取れているかどうか。
それを隠したり、ごまかしたりするような商売はプロとは言えない。

「今回の医療費は1万円です、そして保険に加入しておられますので、お客様のご負担は3000円になります」

本来ならこう言うべきはずのものが、国民皆保険が成立して70年経ってしまうと、いつの間にか本当の医療の価格を忘れ、1万円のものが3000円の価値しかないものと信じてしまっている。現に注射1本が数百円で受けられると、本気で信じ込んでいる高齢の方々がいくらでもいる。

医療の価格、と書いたが、全国共通で「医療の値段」が画一化されているのも日本独特の現象であるし、国民皆保険を背景にした診療報酬の政治問題化が進み、本質を見失った議論が繰り返されてきたが、このあたりは「医療の値段」という本に詳しい。

医療の値段―診療報酬と政治 (岩波新書) Book 医療の値段―診療報酬と政治 (岩波新書)

著者:結城 康博
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

あるいは「ブラックジャック」とか(アフィリはつけないよw)

医療費の高騰が叫ばれている中、私が提案したいのは、病院の領収書の明確化、あと利用者から見てシンプルな制度への見直しでしょうか。

後期高齢者についてはまた改めて書かなきゃ。

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2008年5月 2日 (金)

【書評】オタクはすでに死んでいる

オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258) Book オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258)

著者:岡田斗司夫
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

仕事から帰宅すると届いていたので、ジムに行く前に読了。

ジムではステップエクササイズに参加していたけど、
この本のことを考えていまいち集中できなかったw

で、終了後ヨメさんに岡田斗司夫のことを話すと、
『え、岡田斗司夫死んだの?』と藪からスティックな答えが。
でも、あ、そうか、これはオタクという共同幻想が消滅したという話である前に、一人の個人としてのオタクがいかに死を迎えるか、何を遺すかというテーマが隠されているんだなと得心した。

かつては抑圧され、社会から疎外され隔離されていたオタク達。
些細な違いを超えて、オタクという共通項、絆で分かりあえていたオタク達。
SF小説を1000冊読み、愚昧な世間の名声に背を向けて刻苦勉励し、やがてオタクの道を究めんとしていた。
少数派であることが、貴族(生まれ)あるいはエリート(実力)としてのアイデンティティの裏づけであると理解していた。
でも気がついてみたら、日本ではオタク以外全部が沈没してしまい、ATフィールドのあっち側とこっち側が反転するように自分の立場がわからなくなって、こうもりさんのように考え込んじゃってるんだね。

・・・なんか学会員みたいで、分からんでもない。

いちおう私なりに、この状況の突破口を考えないわけでもない。
とりあえず『死』という概念、臨終正念というか。
あと『師弟』。ベタだけどこれがないと出口はないですよ。

岡田氏も、オタクのエバンジェリストとしての立場を降りるべきかどうか迷っているらしい。
本書で一応退任宣言?も出している。
でもやっぱりロールモデルとしての岡田斗司夫は、降りないで欲しいなあ。

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