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2011年7月16日 (土)

悪知識2011

最初は正義感から始めたのだろう。脱原発を徹底的に書き連ねる人が目に付いた。

このブログにも書くように、私もいずれ原発がなくなればそれに越したことはないと考える立場である。しかし、書く内容が次第にエスカレートし、果ては原発の地元の人々まで不当な非難を浴びせるような事を書き連ねるようになり、学会員の同志のよしみとばかり、一言警告を書いて送った。

返ってきた返答は、私の期待を裏切るものだった。

百歩譲って、原発の廃絶を主張するためなら、それに関わってきた人々に対するいかなる非難を書いても許される・・・「いよいよ・はりあげて・せむべし」とばかりに、悪を滅するための確信の行動であると胸を張って言えるのなら、敢えて止めはしない。池田先生ですらも徹底的にやることを可とする可能性も無きにしもあらずである。
私もあらゆる主張に耳を傾けたい。私のフォローしている人は日常的に朝鮮人差別、ある特定の企業の攻撃、妄言の連続とも言えるツイート、あらゆるジャンルの書き手を可能な限り集め、なおかつ話は極端だけど一つ光るものがある、そういう書き手を選んで読んでいる。自分で選んだ書き手を今までリムーブしたことはない。フォローした私の責任でもある。よって確信に基づいて書くのなら可とするつもりだ。

ただ一つ、こちらに送られた返答で気になることがあった。
自分の書く意見に賛同する方が多くいる、という点だ。

これは警戒すべき事態である。
もしかしたらもう、引き返せない所に来てしまっているかも知れなかった。

このブログを休載する前、同じようなケースに何人もネットを通してめぐりあった。
その人はちょっとした出来心で学会批判を書いたのだろう。それに次々と賛意のコメントが付き、それに応じて組織に対する不満を次々と書き連ね、雪だるま式に反学会へと転げ落ちていくのを目にしてきたのだ。

あるブログの顛末
http://prayinfortheground.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_2431.html

しかし元はといえば彼自身が書いた文章で集まった読者。彼自身が呼び寄せたと言っても差し支えないだろう。
開設当初は落ち着いて物を考えている様子が伺えて,最初は批判的でも書くことで何かを得ていけるのではないかと期待し,コメントも入れたのだが,事態が進むにつれて内容は荒れ,論旨が滅裂にな り,酔っ払った勢いで文章の体をなさない学会批判を書き散らし,読者は学会が悪いのコメントで煽り立てるばかりで,悪化のスパイラルが確実に進行していっ た。

そこらじゅうで言われてることではあるが、ネットの言論はその妥当性を抜きにして、ある方向へ強く増幅させる作用がある。

賛同する意見が多いと言っているが、賛同するフォロワー「だけ」を集めていけば賛成が100%になってしまうのは当然だ。
自分にとって耳の痛い批判、反対の意見を言うものに耳を傾けようとする態度が常になければならない。

言論は自由だ、だが批判される義務から逃れてはいけない。

これは私自身にも今一度強く言い聞かせるつもりで、再度確認しておきたいのである。

開目抄下

愚人にほめられたるは第一のはぢなり、(237ページ)

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