2011年8月 7日 (日)

未来部会合>ダウン

会館での未来部の会合の後、ヘトヘトに疲れて9時過ぎまで寝てた。
若さにあてられたかな。南は枕崎、北は阿久根まで、これほど会場がいっぱいになるとは思わなかった。正直驚いた。
日頃若い人間をほとんど見ないものだがら、慣れないことをして身体にきたっぽい。
昔と比べて学会に対する変な偏見とか、自意識の強さ、イタさみたいなものをあまり感じない。いいのかどうか分からない。あくまでも私の視点だけど。

台風は朝鮮半島の東、湾内のどまんなかか。あちらの被害も心配ではある。
長いこと強力な低気圧が近くにあると、自律神経やらいろいろ参ってくる。

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2011年8月 2日 (火)

未来部打ち合わせ

仕事終了後、夕食食べて7時に会館へ。
未来部総会の打ち合わせ。

てっきり昨年までのように、小学生を集めてわいわいやる会なのかと思っていたが、今回から中高生も一緒で、前半部分はちゃんとした会合のようだ。

そういえば2年ほど前はWii持っていって小学生とボウリングで遊んだりしてたなあ。
ボウリングなんか複雑で大丈夫かなと思ったが、投げさえすれば一応ピンが倒れるのでウケはよかった。配線もいろいろ苦労した。たしか昔このブログにも書いたと思う。

話を聞いてみれば、結構それなりに未来部+親御さんでの参加があるようで、当日は台風も気になるけど盛況で無事故で行ければなと思う。

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2011年7月21日 (木)

体験発表辞退

今度の日曜に予定していた体験発表を、諸般の事情により辞退させていただきました。

発表後に全文このブログにアップ予定でしたが、それも中止します。
もうしばらく私だけの胸の中に抱えて生きていこうと思います。
その時はまた、私の心境も少々変わってると思います。
夜3時まで寝床で考えて、明け方までかかって書いた文章もおそらく永久にお蔵(HDD)入りかな。

自分自身を見ていて非常に痛々しいです。
でももう少し時が来るのを待ってみようと思います。


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2011年7月20日 (水)

7月度座談会御書:諸法実相抄

諸法実相抄(1360ページ)

いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、

文永10年(1273年)5月、佐渡から最蓮房宛。
・地獄界から仏界までの十界(諸法)がそのまま妙法蓮華経(実相)の姿である。
・「虚空会の儀式」を引き、釈尊の久遠からの弟子として地湧の菩薩(弟子)と上行菩薩(大聖人)の関係を説く。

ポイント
・地湧の菩薩の使命と力
「法華経の行者にてとをり」「日蓮が一門となりとをし」「日蓮と同意ならば」生命の偉大な智恵と底力を躍動させることができる
・創価の師弟の実践
現代において三代の師弟の人格と闘争にふれて、師弟の道を貫く中に、大聖人と「同意」の実践がある。

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2011年7月19日 (火)

低気圧

台風の気圧のせいと思われるけど、朝から非常に体調が悪い。

それと昨夜どうしても眠れず、夜明け前ぐらいまで体験発表の原稿を書いていた。
普通に自分の身の上を書いたつもりが、普通の体験発表からすると相当な変化球になってしまったっぽい。
夕方ちょっと手直しをして、既に原稿は書き上げてある。

日曜日の本番が終わったらブログにアップしようと思っている。

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2011年7月16日 (土)

悪知識2011

最初は正義感から始めたのだろう。脱原発を徹底的に書き連ねる人が目に付いた。

このブログにも書くように、私もいずれ原発がなくなればそれに越したことはないと考える立場である。しかし、書く内容が次第にエスカレートし、果ては原発の地元の人々まで不当な非難を浴びせるような事を書き連ねるようになり、学会員の同志のよしみとばかり、一言警告を書いて送った。

返ってきた返答は、私の期待を裏切るものだった。

百歩譲って、原発の廃絶を主張するためなら、それに関わってきた人々に対するいかなる非難を書いても許される・・・「いよいよ・はりあげて・せむべし」とばかりに、悪を滅するための確信の行動であると胸を張って言えるのなら、敢えて止めはしない。池田先生ですらも徹底的にやることを可とする可能性も無きにしもあらずである。
私もあらゆる主張に耳を傾けたい。私のフォローしている人は日常的に朝鮮人差別、ある特定の企業の攻撃、妄言の連続とも言えるツイート、あらゆるジャンルの書き手を可能な限り集め、なおかつ話は極端だけど一つ光るものがある、そういう書き手を選んで読んでいる。自分で選んだ書き手を今までリムーブしたことはない。フォローした私の責任でもある。よって確信に基づいて書くのなら可とするつもりだ。

ただ一つ、こちらに送られた返答で気になることがあった。
自分の書く意見に賛同する方が多くいる、という点だ。

これは警戒すべき事態である。
もしかしたらもう、引き返せない所に来てしまっているかも知れなかった。

このブログを休載する前、同じようなケースに何人もネットを通してめぐりあった。
その人はちょっとした出来心で学会批判を書いたのだろう。それに次々と賛意のコメントが付き、それに応じて組織に対する不満を次々と書き連ね、雪だるま式に反学会へと転げ落ちていくのを目にしてきたのだ。

あるブログの顛末
http://prayinfortheground.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_2431.html

しかし元はといえば彼自身が書いた文章で集まった読者。彼自身が呼び寄せたと言っても差し支えないだろう。
開設当初は落ち着いて物を考えている様子が伺えて,最初は批判的でも書くことで何かを得ていけるのではないかと期待し,コメントも入れたのだが,事態が進むにつれて内容は荒れ,論旨が滅裂にな り,酔っ払った勢いで文章の体をなさない学会批判を書き散らし,読者は学会が悪いのコメントで煽り立てるばかりで,悪化のスパイラルが確実に進行していっ た。

そこらじゅうで言われてることではあるが、ネットの言論はその妥当性を抜きにして、ある方向へ強く増幅させる作用がある。

賛同する意見が多いと言っているが、賛同するフォロワー「だけ」を集めていけば賛成が100%になってしまうのは当然だ。
自分にとって耳の痛い批判、反対の意見を言うものに耳を傾けようとする態度が常になければならない。

言論は自由だ、だが批判される義務から逃れてはいけない。

これは私自身にも今一度強く言い聞かせるつもりで、再度確認しておきたいのである。

開目抄下

愚人にほめられたるは第一のはぢなり、(237ページ)

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2011年7月 7日 (木)

ペース配分

病気した頃に比べて体調は大分戻ったとはいえ、フルに活動しまくるという訳にはいかない。
ある程度自重して、というか、会合に出るのは週に2回ぐらいまでと決めている。

とはいえ、先週まで男子部のセミナーの準備で、出ずっぱりだったこともあった。
その時は調子もいいのだが、後からの揺り戻しが大変なのだ。
埋め合わせる訳ではないけど、どうしてもという時以外は控える時は控えないと。

こういうコントロールも最近少しはできるようになった。
少し前までは走ってバテて、の繰り返しだった。もちろん比喩的な意味で。実際の様子は凄惨だったとも言える。

私も年だしな、ある程度は若い人にも活躍の場を与えないと。
少しどうかという行動も目に付くことがあるが、むしろその性格をいい方向に伸ばすように仕向けていければなと、思うのだ。

という訳で男子部活休みます。後で中身教えてね>若い人

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2011年2月16日 (水)

草稿:新人間革命「厳護」の章を読んで

 創価班はもとより,全ての弟子が目指すべき青年の姿はどうあるべきか。
 池田先生は「新・人間革命」厳護の章において,このたび私たちに重要な指針を示してくださった。ここに改めて,創価班としての決意を新たにし,次なる戦いへ新たな決意を持って挑みゆく勇気を与えてくださったことに感謝し,その指針について次のように具体的にまとめておきたい。

 まず最初に,我が身を顧みず人々に尽くす不惜身命の姿である。
 私自身も何度となく会合において,創価班として駐車場の整理に着任させていただいてきた。改めて省みれば,暑い日も寒い日も,常に会員さんの安全を祈りつつ,近隣の方々に明るく挨拶をし,学会厳護のため自ら志願して無事故を勝ち取ろうという決意のもと,一つ一つの着任を無事故の勝利と積み重ねていくことこそ,自分の何よりの功徳であるという喜びに満ちたものだったことを,改めて感謝とともに思い起こすことができる。

 次に,師弟不二の信心である。
 池田先生自身も,戦いの先頭に立って,若者として勝利の全責任を担って戦ってこられた。会合の司会から駐車場の整理にいたるまで,役員の一人ひとり,行動の隅々にこの精神が行き渡ることで,磐石の勝利が得られる。勝利のために一番必要なことは,先生そして我々全てが,戦いの呼吸を合わせることだ。団結なくして勝利はない。皆が同士として池田先生の心を我が心とすることが,勝利の何よりの要諦であることを,実地の体験から学ばせていただいてきた。

 そして最後に,折伏弘教の精神である。
 我々青年は,あくまでも仏法を根本とし,万般の知識を身につけ,社会においても必要とされる人材に成長していかなければならない。我々個人の成長が,学会理解を進め,師匠を宣揚し,広宣流布を進めていく最も根本的な原動力であることを今一度確認すべきである。
 これらの成長,学びの場として,先生は人材育成の組織を育て,幾多の人材を輩出する確固とした基板を作ってくださった。その恩に報いていく,これこそが我々創価青年同志の究極の目的である。

 私自身も先生の心に触れ,今一度成長の指針と,広宣流布への決意を新たにすることができた。これを好機として,自分自身の成長と宿命転換のために,今これからの戦いを新たな気持で勇躍勝利していきたいと決意するものである。

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2010年9月16日 (木)

9月度座談会御書:乙御前御消息

いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり、(1221ページ)

・現状に甘んじることなかれ
-常に成長、惰性との戦い。

・持続の信心
-一粒の種には、大樹へと成長しゆく無限の可能性がある。

大聖人の信心には、もとより「より深き法を求めよ」という原則がある。
現状に甘んじることなく惰性を排し、水の流れるように常に清新な信仰であるためには、自身がより深い法を求め、自分を磨く努力を怠らない姿勢が求められる。
故に昨日の自分を勝ち越えるための努力、これがない信心は「進まざるは退転」そのものであると言わなければならない。常に一歩前進する勇気を忘れないことだ。

また、この御書にはそういう自己鍛錬の指導と同時に、女性の生き方についても触れられているので軽く触れておく。
この手紙のあて名の乙御前(妙日尼)の再婚に際して、「どのような男を夫とされても、法華経に敵対するならば従ってはなりません」と厳しく戒められている。
女子部にとっては非常にハードルの高い指導かもしれないが、女子部の皆様、大丈夫です。あなたに魅力があれば男なんていくらでもついてきますよ。

最後に、先日の中継で、池田先生は善悪について質問を受け、
「善悪は実に難しい問題ですが、南無妙法蓮華経が正義の中の正義です」と喝破された。
すなわち、人間の仏性、生命の尊厳そのものに敵対することが悪ということだ。
価値観や善悪観の揺らいでいる世の中でこそ、我々は今一度この言葉を再確認したいと思う。

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2010年8月24日 (火)

8月度座談会御書:四条金吾殿御返事

4月以来久々のブログ更新です。
病気の関係やら何やらで色々あったわけですが。実際はほとんどツイッターにいました。
今後もまったりと更新していきます。

座談会御所e講義
http://www.sokanet.jp/sg/sn/MEMBER/Page/1224573168388/1226445391573

四条金吾殿御返事
http://www.sokanet.jp/sg/Satellite?pagename=sn%2FSgLayout&c=Page&cid=1162085001822&ref=null&key1=1180

貴辺の御すすめによつて今は御心も・やわらがせ給いてや候らん・此れ偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故なり、根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長しと申して一切の経は根あさく流ちかく法華経は根ふかく源とをし、末代・悪世までも・つきず・さかうべしと天台大師あそばし給へり、(1180ページ)

最近大聖人の身延入山後の御書が多いような気がしますが・・あまり穿った見方はしないようにしたいと思います。

四条金吾は今で言う若き青年~壮年部ですが、度重なる主君のパワハラにも耐え、そのうち主君が病気になり、それでも甲斐甲斐しく主君に尽くし、病気が快癒した後金吾の忠義に心を打たれた主君江間氏は、最終的に以前の3倍の領地を金吾に与え、自らも大聖人門下に加わるという大勝利の結果を残すことができました。

これもひとえに、信心を根本に忍耐に忍耐を重ね、人生の困難を自分を成長させる糧として受け止め、勝つまで弛むことなく信心を貫いた実証であると拝されます。

私たちも夏休みからの立ち上がりということもあって、まだ活動が軌道に乗っていないかもしれませんが、今一度原点に返って、まずは今週の座談会から地道な活動を一歩一歩踏みしめていこうと思います。

変化の激しい世の中、不況だ猛暑だと世間を飛び交う情報があまりに多く、ともすれば急進的な解決策に逃げ道を求めがちになるのが人間で、世の中の情報量が増えて選択肢が増えるほど、集団ヒステリーとも言うべき発作的な動きが起こりやすくなっているように思えます。どうしても個人的な自立心が弱いとそうなってしまうなというのが私の印象ですが、目の前の一つの課題、一日の営みを大切に乗り越えていくのが一人ひとりの枝葉と根を強く張っていくということだと思います。

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